長崎3泊4日の旅で、グルメと同じくらい印象に残ったのが「歴史」。
教科書で断片的に知っていた出来事が、実際の場所を訪れることで一本の線としてつながり、“過去の話”だったはずのものが、一気に自分ごととして迫ってくる感覚がありました。
今回は、軍艦島・大浦天主堂・グラバー園・出島を巡りながら感じたことをまとめます。
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軍艦島|“ただの廃墟”ではなかった場所
まず訪れたのは、通称『軍艦島』と呼ばれる端島

端島(軍艦島)
正直に言うと、事前のイメージは「廃墟」。なんとなく見てみたかった、という軽い気持ちでした。
しかし実際に訪れてみると、その印象は大きく変わります。
軍艦島はもともと“ただの岩礁”
そこに海底炭鉱が発見されたことで、島は埋め立てられ、拡張され、人が暮らす“都市”へと変化していきました。
国のエネルギーを支える炭鉱の島
最盛期には高層の集合住宅が立ち並び、人口密度は世界有数。

テレビ・冷蔵庫・洗濯機といった家電の普及率も高く、当時としてはかなり豊かな生活が営まれていたそうです。
特に印象的だったのは、炭鉱のスケール。
採掘は地上ではなく、海底1000メートルの世界。(勝手に、山みたいなのを想像していた)
軍艦島はその坑道への“入口”にすぎず地下には広大な空間が広がっていたといいます。
その一方で、この島の終わりはあまりにも突然でした。
国のエネルギー政策が石炭から石油へと転換されたことで、炭鉱は閉山。
島民はわずか3ヶ月で退去を余儀なくされました。
それまで当たり前にあった生活が、ある日突然終わる。もし自分が同じ立場だったら、と考えずにはいられません。
閉山、退去、そして今
現在の軍艦島は、無人の廃墟。しかしガイドさんの話で印象的だったのが、「緑」の存在でした。
かつては“緑のない島”と呼ばれていたこの場所に、今は植物が生い茂っています。

長い年月の中で、鳥が運んできた種が芽吹き、根付き、廃墟のコンクリートの隙間から命が広がっていった。
その風景はどこか幻想的で、佐渡の北沢浮遊選鉱場を思わせるような“ラピュタ感”を感じました。
佐渡ヶ島の北沢浮遊選鉱場を訪れた時の旅行記:

歴史を学ばせてくれる軍艦島クルーズ
今回利用した『軍艦島上陸クルーズ』は、
- 端島の隣の高島で炭鉱資料館とミニ軍艦島で予習してから軍艦島2上陸できる
- ガイドさんの説明がめちゃくちゃ上手でエモい
- 帰りの船で、当時の人々の暮らしを映像(DVD)で見せてくれる
ので、「ただ廃墟見てきた」感じでは終わらない、良き学びがありました。
息子と感想を話し合える喜び
軍艦島上陸は息子にとっても印象的だったよう。
戻ってきてからも
「島の人たちは島を出ていくときも笑顔だったよね。何でかな」
「何で急に出ていかないといけなかったのかな」
など、いろんな話をすることができて、面白かったです。3年生になって、社会の授業が始まり、「外の世界」への興味がわいてきたみたい。
大浦天主堂|教科書では見えなかった信仰の歴史
大浦天主堂
ここでは、隠れキリシタンの歴史に触れることができます。
学生時代に習ったのは「踏み絵」。
キリスト教徒を見つけ出すための制度、という程度の理解でした。
しかし実際にこの場所に立ち、展示を見ていくと、それだけでは語れない背景があったことに気づきます。

信仰を守るために、自分の正体を隠しながら生き続けた人々。
命の危険と隣り合わせの中で、それでも信じるものを手放さなかった歴史。
その重みは、想像以上でした。
個人的には、展示されていた西洋画も印象的でした。二十六聖人殉教が描かれた絵。

浮世絵でもなく、現代絵画でもない。
『最後の晩餐』などの西洋画やキリスト教の絵は当然、西洋人が描かれているものと言う先入観がずっとあったけど、和服姿の日本人が描かれているのが不思議な感覚を覚えました。
グラバー園|近代日本を動かした人たちの存在
大浦天主堂からほど近い場所にあるグラバー園。

グラバー園
ここでは、幕末から明治にかけて日本の近代化に関わった外国人たちの足跡を見ることができます。
トーマス・ブレーク・グラバーさん
彼は高島で炭鉱事業を学び、日本の産業発展にも大きく関わった人物。
グラバー園に残る邸宅は、当時の成功者たちの暮らしを感じさせるものばかり。
建築様式やインテリアを見ながら、「当時の経営者たちはどんな生活をしていたのか」と想像するのも楽しい時間でした。
また、彼の息子である『倉場富三郎』も長崎で実業家として活躍し、出島に「内外倶楽部」を設立。
外国人と日本人が交流する場をつくり、地域の発展に貢献していました。
ビジネスと社交、その両面で長崎の近代化を支えていたことが見えてきます。
旧ウォーカー住宅
ウォーカー商会を設立したロバート・ウォーカーは、1904年に「バンザイ炭酸飲料会社」を立ち上げ、日本で炭酸飲料の大量生産を行っていたそう。

息子が長崎旅の少し前からラムネにハマっていて、『若竹丸』でもラムネを飲んでいたこともあり、グラバー園でも飲み物系の展示につい目がいく我が家。
そしてその後、園内の グラバーカフェ の前を通りかかると…
BANZAIサイダーいまむかし
なんと、その『BANZAIサイダー』が実際に売られてるー!
展示で見た“昔の飲み物”を、そのまま今の長崎で飲める体験ってなんだか面白い。
もちろん即購入(笑)

「歴史展示で見たものを実際に体験できる」って、テーマパークみたいな楽しさがありました。
しかも後から知ったんだけど、グラバーさんはキリンビールの設立にも関わっていたらしい。

炭鉱、造船、貿易、飲料…。
長崎の近代化を語ると、いろんなところでグラバーさん周辺の人物につながっていく感じが面白い。
出島|日本と世界をつないだ“窓口”
最後に訪れたのが出島


江戸時代、鎖国政策の中で唯一、海外との交流が許されていた場所です。
限られた空間の中で行われていた貿易や文化交流。

そこから西洋の知識や技術が日本に伝わり、やがて近代化へとつながっていく。
グラバーをはじめとする外国人の存在も、この“窓口”があったからこそ生まれたものだったのだと実感しました。

歴史が“点”から“線”になるということ
今回の長崎旅で強く感じたのは、
歴史は「知識として知る」のと「体験として理解する」のとでは、まったく違うということ。
炭鉱、キリスト教、鎖国、近代化。
それぞれ別々に学んできたはずの出来事が、長崎という場所の中でつながっていく。
そして、その背景には常に「人」がいる。
変化に適応しながら生きた人、
信念を貫いた人、
新しい時代を切り開いた人。
そうした存在に思いを馳せることで、歴史が一気に身近なものになりました。
まとめ|長崎は“学びが深まる旅先”
長崎は、観光地として楽しむだけでなく、自分の中にある知識や価値観をアップデートしてくれる場所でした。
グルメや景色だけではなく、「なぜこの街がこうなったのか」を知ることで、旅の満足度は大きく変わります。
もし長崎を訪れるなら、ぜひ少しだけ時間をとって、歴史に触れてみてほしい。
きっと、想像以上に面白い発見があるはずです。
今回滞在した長崎マリオットホテル
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